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2015年5月24日日曜日

カンネンチンネン

さて。
そうこうしている内に、帰国日はもう明後日に迫っています。2015年1月から5月末までの今回の留学。これまで2回しかブログ更新していなかったので、ここで振り返ろうと思います。

 今回の留学は、前回にくらべて苦しみが少ない日々だった。前回の留学でのわたしの苦しみの種は、劣等感から生まれていたとおもうんだ。フランス語を思うように話せず口ごもる私に対し、間違いを臆さずペラペラおしゃべりする英語圏・欧州のクラスメイト。ムツカシイ社会情勢の話題を振られて、焦って何も答えられなかったことも。そんな時はあとからあとから、ああ、こう言っておけばよかった、こんなこと話したかった、なんて後悔が無数に湧き出てきたもんだ。その夜は部屋で一人イヤホンをつけ、大音量でback hornの運命複雑骨折を聞いてベッドのうえをのたうち回った。自分は同年代の友人たちより、フランス語力も思考力も知識量もすべて劣っているように感じられた。

 今回の留学の目的は語学習得ではなくて、人間的成長という曖昧なものでもない。修士論文を書くための情報収集が最優先事項だった。その目的が達成されるなら、授業での評価は重要じゃない。意地になって外国人の友人づくりに勤しむ必要も無い。わたしと全く同じ立場で同じ研究をしている人は少なくとも私の周りにはいなかったから、自分の能力を比べる相手もいなかった。だから劣等感に苦しむこともほとんどない。私自身が歳をとり身の程を知って、"できない"という事実に向き合えるようなったことも大きいと思う。あの頃の私はもっと幼くて、自分の力を過信していたんだな。それが今では肩の力も抜けて、フランス語を気楽に話せるようになって、結果的に語学上達にもつながったんじゃないかな、と思う。
 ただ自分と同じ境遇の人がいないということは、すべて己で道を選んで進んでかなければいけないもので。誰かが正解を教えてくれるわけでもない。努力を向ける対象も、方法も何もわからない。コンパスも持たずに小舟で一人、大海原を漂流しているような不安がずっと胸にあった。自分なりにこっちだ、と決めて船を漕ぎ続けても、実は陸からどんどん離れて行っているのかもしれない。正しい方向を知る術はない。それでも同じ場所に居続けるだけでは、いつか食料も尽き、タイムオーバーになってしまう。水平線しか見えなくてもとにかく漕ぐしかないのだ。わたしは結果的に100人にアンケートを取ることに成功してそれなりのデータも確保できたし、参考になりそうな文献も手に入った。でもこの進んできた方向が間違ってたら?もう引き返すだけの食料は残ってないぞ、と。まあ、インドを目指していたとしても、アメリカ大陸を発見できればそれはそれで大きな功績になるのでしょう。とにかく自分の知識と知恵と勘を頼りに舵をとり、船を進める以外ないのだ。タイムリミット内にどこか陸に着かねば。

努力を向けるべき"対象"が明確に決まっているということは、それはそれは気楽なことだったんだと知った。

 こんな漂流生活でもそれほど悩むことなく楽しく過ごせたのは、よくしてくれた友人たちのおかげだ。間違いなく。トゥールーズに到着してしばらくはなんだか寂しくて、無気力で、日本のみんなのことを考える夜が多かった。
 いや、じつはこれも私なりの成長だと思っていて。離れて寂しくなるほど好きな人たちができたということで。自分は基本的に、人にも物にもあまり執着をしない人間だと思ってたし、事実前回の留学中では日本に帰りたいと思う日なんて全くと言っていいほどなかった。他人と付き合うことが好きになったし、みんなのことを大事にしたいと思えるようになってきている。いいことだ。
 とにかく、こちらフランスでも、決して多くはないけど、優しい友人に恵まれたことにとても救われていた。研究を言い訳に部屋に籠もりがちなわたしを外に連れ出してくれた。たくさん話して笑ったし、一緒に料理をしたり、旅行をしたりもした。彼女たちとは、まるで日本語で話してるみたいに、なんの気負いもなくフランス語で話せた。頼みごとも幾つか聞いてもらった。
 荒川なんとかじゃないけど、わたしは人に借りを作るというか、見返りなしに何かを善意でしてもらう事に苦手意識をもっている。自分でできることは自分で、他人の手を煩わせることなく、物事を解決したいと思っている人間だ。それはこれからも変わらないけど。でも、証明写真用のシャツを借りたこと、ノートを見せてもらったこと、部屋に泊めてもらったこと、寮の退出手続きを代わってもらったこと、空港まで付いてきてもらったこと、友人の助けなしに一人だったらもっと苦労していたと思う。"お願い"なんて幼稚園児でもできることが、変な意地や見栄に邪魔されて、こんなにも難しく思えるんだから、大人という生き物はやっかいだ。そんな中、かっこ悪い姿をも晒せる、信頼のおける数少ない相手は大事にしなければと心から思う。
 日本に着いたら、きっと何か送ろう。新年の挨拶のメールなんかも毎年だそう。自分から、つながりを維持させるようにしよう。相手のリアクション待ちなんて卑怯なコミュニケーション方法はもうやめるのだ。

さあ
観念的なお話は一旦ここまで。次からはもうすこし具体的な体験談をかこうとおもいます。
Canal de Brienne




























la Garonne

2015年2月14日土曜日

腐りかけの鶏肉を買った日

こっちに来てから上達したと実感し始めていることがある。
それは料理とブラインドタッチ。

 授業が休みになりほとんど家に引きこもってる私にとって、パソコンが一番のお友達だし、料理(買い物含む)以外の楽しみがないのである。生きるために食べているのではなく、食べるために生きているという現状。なんて非生産的な生活。さすがにこんな生活してたら多少は太るかな。まあそれはそれで。
キーボードのタイピングは、今まで半・ブラインドタッチだったのだけど、手元を全く見なくて済むとやっぱり作業の効率がいいだろうと思って、矯正をしています。ホームポジションを死守、どのキーをどの指で押すかを完全に固定。変な癖がついてるから直すのは大変だけど、がんばって慣れよう。

 今回わたしは、こっちにフランス語を勉強しに来たわけでも、国際交流をしに来たわけでも、自分さがしにきたわけでもない。前回の留学の成果は、それらで十分足りてたけど、今回は違う。研究だ。二年しかない修士課程の半年をこの留学にかけている。なのに研究に関係する授業は履修できず、フランス語や訳のわからない社会学の予習復習に時間を取られる。このままなあなあに日々が過ぎていくなら、お金と時間をかけてここに来た意味が全くない。それならそのお金で藤が丘に住み、自分で文献調査してたほうがずっとよかった。就活だって遅れずにスタートを切ることができた。
もうすぐ一ヶ月が経つけれど、なんの足がかりも見えない。正直に言って怖い。どうしたらいいんだ、この状況で。

何も確定してない現状を終わらせたい。早く結果を出したい。
けどすぐ結果を出せるほどの実力なんかない自覚もある。

わかってる、落ち着いて、よく考えて、予定を立てる。優先順位をしっかり定める。無駄にできる時間なんかないんだ。たった半年でしょ、がんばろうよ。このままいったら絶対にダメだ。変えよう。


 それはそうと、今日閃いたことがある。ふらんすに日本より太っている人が多いのは、スーパーの売り方にも問題があるんじゃないかな。
日本だったら「3割引き!」とかいって値引きをするところを、ここでは「2つ買ったら1つタダでついてくるよ!」という売り方。そりゃそっちのほうが収益は上がるかもだけど、ねえ、ねえ。
フランス人の買い物カートのデカさと内容物見れば、そりゃ太るよなあと思う。

2015年2月10日火曜日

in Toulouse

お久しぶりの投稿
なんと再びフランスへ留学に来ております。

 こっちに来てから、日本にいた時よりニュースや新聞に目を通すようになった。そのせいか、世界がものすごいスピードで回っているように感じる。毎日世界中でいろんな重要なことが起こって、わたしたちを取り囲む状況が変わっていく。わたしに関係のないものごとなんてこの世にないんじゃないかと思える。わたしが今フランスにいて、国と国は国境っていう概念がなんとか区切っているような大陸にいるから、いろんな人種や言語に出会う機会に恵まれてるから、よりそう感じやすいのかもしれない。窓から見える景色は相変わらず穏やかだけど。


その中に砂糖のもつ悪影響について書いてる記事を見つけた。「百害あって一利なし」だって。あほかと。砂糖、おいしいじゃん。それに勝る「利」はなかろうて。



 この間、駅かどこかで、ある黒人に話しかけられた。うわ、でた変な人と思って無視をした。彼はもしかしたら心から親切な人で、何か教えてくれようとしただけかもしれないけど。もしあのひとの肌が白かったら、返事くらいはしたのかもしれない。そうでなくても恐怖心までは覚えなかったかもしれない。外見だけで判断されて無視された彼は悲しく思ったかも。どうしたって先入観は拭えないし、全員と平等に接する無理だ。身を守るために危機感・緊張感は必要だし、あの行動は間違ってなかったと思う。たぶんみんなも同じで、だからお互いに理解しやすい似た者同士で仲間をつくるし、自分から遠い得体の知れない人たちは怖いから遠ざける。自分はそんな人たちとは違う、とどこかで自惚れてたように思う。ばか野郎。


ちょうどブログの前回の更新でも書いてあったけど。やっぱり知らないものは怖い。そしたらお互いの溝はいつまでたっても埋まらないし、すれ違う。だから勉強ってのは必要なんだ。



 授業が始まって2週間ほどで、なんとバカンスが始まってしまった。学校が工事するから他の大学よりだいぶ長い。まだたいして友達もいないし、グループにも所属してないから毎日が暇です。暇すぎで進撃の巨人とかをアニメで鑑賞してます。

でも少年漫画にありがちな、「緩やかな荒廃を待つより、前に進むべきだ」「何か失う覚悟無しに、何かを手に入れることはできない」というテーマは結構真理をついているように思う。いつまでも居心地の良い場所に居続けることは、なにも生まないし、そのうち腐り始める。多少行き先が不安でも、挑戦した方がきっと良い。はず。

今日は天気が良くて暖かいので、植物園とかいう場所に散歩してこようと思います。

2012年11月2日金曜日

11月1日

勉強は大事だ。
だって得体の知れないものって怖いじゃない。ほんとは怖くないものでも。
そしたら簡単に嫌いになってしまう。

知ってたら近づける、分かろうと思える。すきになれる。

知ったからこそ嫌いになることもある。
でも食わず嫌いよりずっといい。



そう思った今日でした。

2012年9月14日金曜日

旅行記 フランス東部編 2012/6/6-13

旅行記です。6月の旅行なのにちょっとずつ書き溜めてたら今になってしまった。前回の更新とは時間が逆になるけどまあしょうがないね。

・・・

学期が終わって、なんともう夏休み。最高気温20度とかなのにもう「夏」休み。早い、そして長い。5月末から9月頭までだから4ヶ月近く休みがある。でもまあなんだかんだその間にやる事も決まっているので、またあっという間に過ぎて行くんだろうな。

そう、アルバイトをします。Chamonix という南西の方の町の日本料理店で住み込みで働く。そして今はそちらへ向かう為の電車の中。待ち時間を合わせるとなんと10時間の長旅。フランスに渡るときに荷物すべて詰めて来たどでかいスーツケースを引きずり、フランス横断中でございます。
忘れ物ないといいなあ…。

さて、電車の旅はまだまだ長いので、この間の旅行の記録を残そうと思います。
6月6日から6月13日にしたフランス東部を巡った旅。自分の記憶に残す為のものだから、面白い、面白くないに関わらず出来るだけ細かく書き残そうと思う。覚えている限りで。


余裕こいて前日ギリギリに荷造りをしていたら、8日間分の荷物は予想以上に多くてなんとリュックに入りきらないという事態に。荷物が少ない事で有名なこの私が、最大限まで減らしたにも関わらず!という訳で走って町へ行って大きいリュックを調達しに。その後夕方から人と会う約束があったから本当に焦った、急いだ、走った。なんでもゆとりを持って行動しないといけませんね、はい。

Cean→Paris でMさんと合流し、いざStrasbourgへ!

6月6-9日 ストラスブール

そんなに大きくない町で、中心部が分かれた川に囲まれていて島のようになっていた。独特な木枠の飾りついた家々が可愛らしいすてきな町。川沿いには柳のかかる歩道があってゆっくり歩ける。船に乗ってガイドを聞きながら町をぐるっと一周もできた。橋には花が飾られていた。ドイツに近く影響を大きく受けているので、今まで見たフランスの街とは全く違う町並みだった。というか正直な所フランスよりドイツの方がオシャレじゃんずるい!とまで思ってしまった。それくらいきれいな街だった。
ノートルダム大聖堂:馬鹿でかくて、かつ細かい細工がびっしり施された教会。ここのステンドグラスは逸品だった。ガイドブックには、中の大時計は12時30分になると仕掛けが動くからくり時計だと書いてあったので、わざわざ時間をあわせて行ってみた。立派な装飾がなされた高さ10メートルはある大時計の前にはもうすでにたくさんの見物客が。みんなの期待の眼差しを浴びながら時計はついに12時30分を打った、、、打ったけど、、、
…あれ?と思ってよく見たら時計の上の方の部分の人形がくるっくるっと回ってた。そしてとまった 。
そう、それだけだったのです。他の観光客のみんなも信じられずなかなかその場からはなれない。まだなにかあるんだろ?これで終わりなんて言わないだろ?て顔で時計を見つめるみんな。しーん、っていう音が聞こえた気がした。
残念な事に本当にそれで終わりだったんだけど、なんだかこの拍子抜け感がとても楽しかった。

がっかりといえば、アルザス地方名物のロレーヌ風キッシュ。塩味の利いた味が特徴らしいとMさんが熱く語っていたのでわたしも挑戦。やっぱり本場はおいしいんだろうなと思って食べたら、なんていうか、からかった。塩味きいてるとかいうレベルではなく塩っ辛かった。おいしくはなかったけど、これも旅らしくてわたしは好きだ。勝手に作り上げた理想像ががらんがらんと崩れる感じ。逆もまた然り。百聞は一見にしかず。ううむ。

ストラスブールで忘れちゃ行けないのが、欧州国際連合の本部を見て来た事。建物内には入れなかったけど敷地内には入って見る事が出来た。円形のイタリアのコロッセオみたいな形でガラス張りのつるつるした建物。本部っていうからばかでかいビルが幾つも連なってるようなイメージがあったけど、思ったよりは小さめだった。思ったよりは、というだけで十分大きかったけども。この日は大雨と雷だった。

次の日はドイツのbaden-baden。なんだか国境を渡ってみたくて、ストラスブールから独りドイツの隣町へ。この日も生憎の雨模様。当たり前だけどバスの時刻表とか看板とかがドイツ語で書かれていて読めないし、天気は悪くて薄暗いしなんだか不安になった。そうだ、たしかフランスに着いたばかりの頃もこんな不安な気持ちだった。電車でたった一時間の距離なのに、そこはすでに馴染みがない「異国」だった。
ここの記録はノートに書き留めてあるのでそれをそのまま載せます。今読み返すとめちゃくちゃな文章だけど、まあいいんだ。








次はディジョン。


マスタードとカシスが特産の街。じゃらじゃらした感じの町並み。大きくて割と都会のくせに、トラムが走ってなくてバスか徒歩の移動だった。ここに留学してるBちゃんと駅で待ち合わせして、街案内をしてもらった。
マルシェを見たり、美術館をみたり、市庁舎の塔の階段をひたすら登って展望台にでたり。ここが本当に長い螺旋階段で登るのも降りるのも一苦労だったけど、そこからの景色はそれに十分値するものだった。ディジョンの街全部と、遠くには近郊の町も見えた。足がパンパンになったけど、まあ頑張ってよかったよ。Bちゃんにはつき合ってもらっちゃって悪かったけど。
夜はBちゃんに教えてもらったおいしくて安いレストランでブルゴーニュ地方のエスカルゴを食べて、キールを飲んだ。朝ご飯にはフランスで賞をもらったパン屋さんのサンドイッチ。普段お土産なんて買わない人間だけども、この時ばかりはマスタードとカシスのリキュールを購入。ここは美味しい街だった。

翌日はディジョン近郊の町、ボーヌへ!

この記録、ちょっとずつ書き足してっているうちに、なんと今はもう九月。夏休み頭に書き始めて、夏休み終わりまでかかってしまった。早く書き上げなくてはどんどん忘れて行ってしまう。他の旅行もしたからそっちも記録したいのに。

ボーヌ
ボーヌまでは電車で1時間だったかな。ワイン産業が盛んなちいさな街。そこにはhôtel dieu という5百年も続いたという病院が。その機能は別の土地に移されて、今は当時病院だった頃の博物館になってた。ある資産家が貧しい人々を助ける為に病院を立ち上げて、病院所有のぶどう畑で作るワインの売り上げで運営してたらしい。日本語の音声ガイドがおもしろかった。
ワイン市場にも行って来た。地下の貯蔵庫に入って行いくと、ずらっとワイン樽や瓶が並んでて16種類のワインが試飲し放題だった。基本的に飲み込まず、味を見たら吐き出すものらしい。それ用の樽もあったけど、なんかもったいなくて全部飲んでしまった。もちろん出る頃には若干酔っておりました。ワインをいくつか飲み比べたのなんて初めてだから、こうも味が違うものかと驚いた。ただどれがおいしくてどれがおいしくないのか、わたしにはよくわからなかったけど。ワインと向き合うにはまだまだ子供のようです。とにかくいい経験だった。試飲に使ったかわいいミニカップをお土産にもらった。タストヴァンっていうらしい。
帰りはバスでディジョンまで。街の外には広大なぶどう畑が。静岡の茶畑みたいに延々と続いてた。ワイン用のブドウの木って意外と背が低いのね。天気はよくなかったけど良い所だった。

翌日は電車に遅れそうになりながらもなんとかリヨンへ!ここでMさんとはお別れ。もう日本に帰っちゃうからもう少しきちんとお別れしたかったけど駅着いたらそれぞれの電車へ一直線だった。ありがとうございました。


リヨン
駅着いたらKくんと待ち合わせ、彼に案内してもらい都会を堪能しました。なんとリヨンもメトロが走ってんのね。空港もあるしトラムも地下鉄張り巡らされてるし、パリに次ぐ街と言われても納得だった。
ここではホテル関係で非常に苦労した。1泊目は、地図通りに行って看板も出てるのにアパートの入り口しかない、しかもオートロックで開かない、番号に電話しても誰も出ない。結局その辺りをぐるぐるしたあげく、アパートの住人に助けてもらってなんとか中に入ったら、中に受付が。なんでそんなとこにあるんだもうやだ。2泊目はネットにはチェックインが24時までって書いてあったから21時くらいに着いたら、受付もうしまってた。19時までとか書いてあった。結局チェックインできず他の宿を探したけど都会だから、どこも一杯だし空いてる所は3つ星とかの高級ホテルだし。まあすでに暗い中歩き回ってなんとかホテル見つけたけど(かなり怪しい所だった)、後日その閉まってたホテルからキャンセル料の請求が来た。ふざけんなこのやろうフランスって本気で思いましたとさ。

まあそれはいいとして。ゴンドラみたいな乗り物で丘の上のフルヴィエールという教会に行った。そのライトアップされた姿もさることながら、そこから見下ろすリヨンの夜景がとてもきれいだった。kくんは友達のお別れ会とかにここに来てみんなで街を見下ろすらしい。こ、これが都会っこ…!カーンとは明らかに過ごし方が違うようです。そこからの帰り道、道路になにかたくさんコロコロと大きめの石?が転がっていた。何かと思ってよく見てみたらなんと

エ ス カ ル ゴ !全部、ぜーんぶエスカルゴ、ていうかカタツムリ(その半分以上はもう踏まれてつぶr)。しかもその先の道ずっと続いてるの。…ぞっとした。いくらブルゴーニュの名産とはいえ、こんな風な出没は望んでないよ…。


翌日は近郊の町 ペルージュへ!
バスでゴトゴト30分くらい。なにもないバス停で降りて、15分ほど歩いて登ってくと、丘の上に石垣で囲まれた小さな小さな集落が。そこがペルージュ。15分あれば歩いて一周できてしまうくらい。通りや家がすべて石造りになっていてツタ性の植物が広がって絡み合ってた。村の中心には広場のようなスペースがあってそこに大きな木が一本立ってた。足下がごつごつの石畳だからあるくだけで常に足つぼマッサージ状態。なんていうかおとぎ話の主人公が生まれた町って感じ。こんな所本当にあるんだなと思ってワクワクしっぱなしだった。

旅行最終日は再びリヨンで、ドでかい公園?へ行った。延々と広がる芝生にバラ園、植物園、動物が飼育されてるスペースも。とにかくでか過ぎて歩いては全部回れなかった。こんな都会にこれだけの市民の為のスペースがあるってすごいことだな。みんな思い思いにスポーツしたり寝っ転がったりしてた。いいところだ。
あとミニチュア&シネマ博物館。ミニチュアの館や部屋、牢獄なんかの展示と、映画のセットや小道具の展示があった。映画parfumのセットがド迫力だった、映画見てないから残念だけど。あと猿の惑星やプレデターなんかの撮影用かぶり物とか、トムクルーズの顔石膏とか。なかなか映画好きにはたまらないところだった。
そういえばリヨン名物のクネル?とかいう白身魚のつくねの何かを食べたけど、あまりおいしくなかった。多分料理が悪いのでなく、レストランがいまいちだったんだな。やっぱり観光地で人が集まる所のレストランは総じて美味しくないところが多い。ちょっと中心から離れてても地元の人がいる所に行くべきね。旅行の鉄則。

こんな感じで旅行を終えて帰路につきました。

2012年8月17日金曜日

帰還


気がつけば八月も半ば。月日が過ぎるのは本当に早い。
私は今、シャモニでの一ヶ月半住み込みのアルバイトを終えて、カーンへ戻る旅路の途中です。待ち時間合わせて10時間。ここに来る時もそうしてきたんだ。あれから約2ヶ月が過ぎたのか。早いなあ。今回はシャモニでの日々について書こうと思います。

シャモニは本当に小さな街で、そのくせアルプス山脈ふもとの観光地なもので、街のほとんどが登山グッズ屋だのレストランだのホテルだので埋め尽くされている。シーズンの時期に行ったせいもあるだろうけど観光客がわんさかといた。街を歩けば日本人のじいさんばあさんのツアー団体に嫌でも会う。
わたしがそこに電車でついたのは夕方だった。シャモニへの電車は山の中を行き、最後は崖を縫うようにして超低速で進んだ。正直とんでもないところに来てしまったのではと後悔したけど、仕事に関してはそんなに不安はなかった。一応レストランでの経験もあるし、接客業も得意な方だと自信を持ってた。

わたしが働いたSATSUKIはシェフもスタッフも日本人の純日本料理店で、観光ガイドなんかにも載っている結構有名なところ。日本のテレビにも何回か出てるらしい。そんなシーズン中の街の、そんな有名なお店、というのは予想以上に大盛況だった。

結局わたしはそこで自分の出来の悪さを痛感した。言われた事しか出来ない、機転が利かない、仕事が遅い。常識で考えたらこんな事しないだろうという事を平気でやる。頭を動かして働いてない。それゆえ信じられないようなミスも連発。新人とはいえもう少しまともにできるだろうと自分でも思う。始めはそれがとってもつらかった。注意を受けるのも小言を言われるのももちろん辛いけど、みんなに迷惑をかけてる事実が一番こたえた。完璧な足手まといだった。そんな自分が嫌でしょうがなかった。
そりゃあ新人だから、迷惑かけながら教えてもらって覚えてくってのは当然の事かもしれないけど、あの店にはそんな余裕はなかった。できるだけ物事を完璧に済ませないと店の回転が追いつかないほど流行ってた。
そんな中の新人だから、文句を言われる事もとばっちりを受ける事も多々あるし、ある人にはたぶん嫌われてた。それでもSATSUKIのみんなはほとんど理不尽なことは言わないし、おこられる時は確かにわたしが悪い時だった。きちんと教えてもくれた。ONとOFFがしっかりしてて仕事以外で話す時はみんなでわいわいして仲良くしてくれた。
だから余計に足手まといが嫌だったんだ。そんな精神的な疲れと、一日14時間働いて週休1.5日(!!)というハードワークのせいで、当時のわたしは酷い顔をしてた。宿がルームシェアで、プライベートの時間がほとんどないというのもしんどかった。聞いた話によると、社長はいつわたしが辞めるだろうかとハラハラだったらしい。

仕事の内容とは別に辛い事があった。SATSUKIで働いてる期間はほとんどフランス語を話す機会がなかったこと。スタッフは一人を除いて日本人だし、フランス人のお客さんとも決まったセリフを繰り返すだけ。わたしは何の為にフランスにいるんだ?こんなに体をすり減らしてお金を稼ぐ事が、たった一年しかない留学中にやるべきことなのか?そもそもフランス語の勉強ってなんなんだ?SATSUKIで働いてる人は学校で勉強なんかしなくてもみんなわたしよりずっとペラペラだ。フランス人と結婚して、フランスに住んで…。仕事もできない、フランス語もわからない、じゃあわたしは何ができるんだろう?わたしがしてる事って全くの無駄で間違ってることなんじゃないの?
っていうめちゃくちゃな考えが頭から離れなかった。訳分からないけど辛すぎて、人目を盗んで何回か泣いた。真っ暗の中ひとりで店のゴミを捨てに行った時、仲良く手をつないで寄り添い歩く夫婦を見て、すっごく虚しくなった。

と言う感じでこの最初の一ヶ月くらいは本当に脳が腐ってた。それでも仕事に慣れるにつれて考えも多少まともなものになっていったと思う。the pillowsをリピートしまくってわたしが出した結論としては、全てを選んでここまで来たのはわたしだということ。さらに選択の権利があるというのはとても幸運な事だという事。つまり、幸せな事に自分で物事を選んで生きれるんだから、自分の選択には責任を持たなくちゃ、と思ったわけ。誰かや環境に文句つけたって意味がない、あとは自分がしっかりやるべきだ。c'est moi qui a choisi.って事。言うまでもない当然の事なんだけど、つい忘れてしまうんだ。だめだよな。だから忘れないように、そう決めたときに目に留まったペンダントを買ってみた。石の5ユーロのしょうもない安物だけど。とりあえずSATSUKIが終わるまではお守り代わりに着けとこうと。

まあなんとかこうとかして、わたしの仕事期間は終わりを迎えたわけです。最後の方は割と楽しく働けた。みんなほんとに仲良くしてくれた。わたしが最後の日に、明日も仕事早いのに一緒にお酒飲んで話してくれたり、プレゼントもらったりもした。いい年の大人がFacebookに友達申請してきてくたり。なんだすぐ帰っちゃうのか連れないな、とか言ってくれたり。地元が近い人は、日本帰ったら連絡するって言ってくれたり。

最初は嫌いだったこのシャモニの谷に、フランスにいる間にこの人たちに会いにもう一度来たいなと思うようになった。本当にたくさんの経験をしてたくさんの事を考えた。そう、わたしはフランスに、フランス語の勉強だけをしに来たのではないんだった。わたしはFranceのChamonixでしか出来ない事をしてきた。それなりにがんばった。

そんな感じで、今日も今日とて留学の日々を過ごしているわたしです。もうそろそろカーンにつきます。久しぶりのわたしの街、わたしの部屋。友達が駅まで来てくれる。気がかりは、共同冷蔵庫の南京錠の番号忘れちゃった事。開けれないじゃん。ていうかわたし中身全部ちゃんと捨ててったっけ?そうじゃなかったら、まあ地獄絵図だなあ。あとポスト見るがとんでもなく嫌だ…。いろんな重要書類でぎっしりな事でしょう。
頑張ります。

ではまた。

2012年5月21日月曜日

5月20日

セーフ、なんとかまだ5月。ご無沙汰ですね。
ううーん 前回からいったい何があっただろうか。
いろいろあったよ、きっと。

ちょっと今日は時間があるからゆっくりモノでも書く気分なんだな。
よし ちょっと紅茶入れてこよう。

さて、前回荒れてからなんとか立ち直り、最近は割と平和に過ごしています。
近況としては1学期が終わって、今は23、24日にあるDELFのテスト勉強期間として
毎日休みです。まあほどほどに勉強をしてる。テストはまあ受かるっしょと調子こいてる最中です。

テストが終わったら、なんと9月までバカンス!
予定はLavalでフランス人の友達がやる風呂敷のエキスポジションのお手伝いに行き
クラスメイトの結婚式のパーティーに参加させていただき
ほとんどの日本人がこの学期を終えたら日本に帰るのでお別れ会をし
ストラスブール、ディジョン、リヨン、あとドイツのバーデンバーデンへ旅行し

そして6月20日から南の方で1,5ヶ月日本料理店でアルバイトします。
冒険まみれ波瀾万丈だな。
なんか予定見ると超楽しそうな人生送ってるなあ、わたし。

それでもやっぱりうまく行かない事は多くて
もう気がつけば留学の3分の1は過ぎていて
どうしようもない 焦る気持ちはおさまらない。


悔しい事に私は器用な人間ではないのだ。
というかわたしは人より不器用で吸収も遅いという自覚がある。
今までなんとかやってきたのはそれなりの努力をしてきたから。
君はセンスがあるねえ、飲み込みが早いねえとか言われてみるみる成長する主人公肌には憧れるけど。新しい事始めるたびにそんな期待もするけど。でもわたしは違う。悔しいけど。

人に追いつくには、人の2倍
人を追い越すには、人の3倍努力すればいい、それだけのこと。

そう信じてまた明日も不器用に生きてみせます。
不安も不平も焦燥もかかえてやろう、あとたったの8ヶ月だもの。
ひゅーROCK!